坂本龍馬の「長州脱藩の道」検定・上関町と防府市編 これまで坂本龍馬の長州内での脱藩の道は注目されたことがなかったが、最近、上関町特産物センターにて、「長州・龍馬脱藩道」のガイド書が四国の出版社から刊行されているとの情報を得、取り寄せたところ、ウィキペディアの「脱藩道」でも「詳らかでない」とされる区域を始め、全コース(上関町から下関市)が解明されていることが判明した。解明にあたっては、上関町観光協会や下関市立博物館、教育委員会等も協力しているとのこと。 受検者数が多ければ第二弾も作ります。 勉強 - 歴史・地理 長州 坂本龍馬 脱藩 脱藩の道 Q1文久二年3月28日朝、伊予・長浜港を出航した龍馬はその夜、長州上関港に寄港、上関村の中沼家に宿泊したとされる。その中沼家はどんな家柄? 選択肢長州藩士の家商家大庄屋遊郭運営者の自宅 Q2文久二年3月29日、龍馬は現在の防府市三田尻港に上陸し、長州藩三田尻御茶屋内招賢閣に宿泊した。現在、招賢閣はないが、御茶屋施設の内、藩政時代「三田尻御殿」と呼ばれていた建物「英雲荘」が現存する。この「英雲」とは何を意味するもの? 選択肢吉田松陰の号大工の棟梁の名長州藩主の法名防府市が公募して付けた名称 Q3防府市の市街地の脱藩コースの決め手は、「西仁位令」と「華城中央」との境界のあるモノだという。そのあるモノとは何? 選択肢道しるべと常夜燈高札場跡と茶堂御米蔵跡と蔵番人邸跡番所跡と番役人邸 Q4問題3の箇所から北進する道はやがて山陽道に合流するが、下関市までは山陽道が龍馬の脱藩道だった。では、その北進する道が山陽道に合流する地点はどの辺り? 選択肢周防一の宮の前大崎の渡しの東佐野一里塚の西県道187号と交差する箇所 Q5三田尻港一角の三田尻二丁目には、龍馬が脱藩した翌年に建てられたモノがあるが、その今でも目につくモノとは何? 選択肢石造燈台木造道しるべ茅葺御茶屋別館藁葺龍馬脱藩記念館 Q6萩と三田尻御茶屋を結ぶ萩往還は、北方から南下して御茶屋をぐるっと回り込むように遠回りして表門に至っているが、それはなぜ? 選択肢鬼門を避けるため藩主が必ず寄る所があったため防衛の観点からの配慮肥溜めを避けるため Q7防府天満宮南の山陽道沿いには、脱藩時とは違う時に龍馬が滞在したという旅籠があり、その旅籠の志士たちの密会場として利用されていた「暁天楼」が天満宮下に復元されているが、「暁天楼」の命名者は誰? 選択肢吉田松陰毛利定広高杉晋作山縣有朋 Q8長州では「峠」を「とうげ」とは読まないケースが多い。では何と読む? 選択肢たんげたおたえとおり Q9山陽道(脱藩道)で最初に現われる峠「佐野峠」。この峠は藩政時代の文人・大田南畝の著書によって全国的に有名となったが、その書「小春紀行」では何と表現されていた? 選択肢中国路随一の見晴らし全国屈指の難所長州一の広さなんか良くねぇ? Q10防府市の旧台道村には安永4年の記録で、山陽道(脱藩道)沿いに約2,500ものあるものがあったという。それは何? 選択肢公共の井戸木造常夜燈街道松犬のフン